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マサムネ氏の心の闇

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文春新書『Jポップの心象風景』(烏賀陽弘道 著)をゲット! ずっと欲しかったんだけど、なかなか書店にはなくて。 でもこれ、6年も前の本なのよね。 それでも欲しかった理由は、草野マサムネ氏のことが書かれた章があるらしかったから。 他のアーティストの章も「う~ん…」ってカンジだったけど、マサムネ氏の章もそんなカンジだったわね。期待が大きかっただけにね。私にはただのこじつけにしか感じられなかった。 どの章もだけど、「えーッ、この人の感性をそっちの世界と結びつけるかぁ~!?そんでもってそこまで膨らませるかぁ~!?」みたいな。 スピッツの曲には「まるいもの」がたくさん出てくる、と言う。 特にデビューアルバム『スピッツ』には、全ての曲に「まるいもの」が出てくる、と。 その「まるいもの」が全て列挙されているのだが、どーにも無理がある…「月」だの「太陽」だのは、どんなアーティストの曲にもよく出てくる言葉だし、「石」「おなか」「魂」「頭蓋骨」「雨」「蜘蛛の巣」、はては「うめぼし」までも「まるいもの」として挙げているのだ。 『ヒバリのこころ』だけは「まるいもの」がなかった、としながらも、♪ いろんなことがあったけど みんなもとに戻っていく という円環運動のメタファーが入っていると言う…ムリヤリやーん。 そして「草野がまるいものに人並みはずれた執着を抱いていることは明白だ」と断言した上で、精神分析学や宗教学の見地から解説していくのである…う~む。 ま、マサムネ氏の歌詞には「とがったもの」も結構出てくるんだけどね…。 あとは、もう幾度となくいろんなところでマサムネ氏が語ってきた「孤独」と「死」に対するスタンスについて。 子どもの頃は「川で溺れ死んでも両親ぐらいしか泣いてくれないのかな」と思ったり、大人になってからも、何らかの集合の場で自分が頭数に入れられなかったりしたら「眼中に置かれてなかった」と落ち込むほどの「仲間はずれ恐怖症」みたいなものがある、とのこと。 愛情たっぷりの家庭で育ったはずなんだけどな。何でそんなに孤独を感じやすいのかな。 「死」については、子どもの頃、父方と母方の祖父が続けて亡くなって、その亡骸を見て、死ぬのが怖くてたまらなくなり、死亡事故のニュースが流れてくるだけでゾーッとして耳を押さえたりしていたらしい…しかしこれは、今のマサムネ氏の姿とも重なる。 東北大震災の

ついにCM出演した有吉

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CMの音声を耳にして、「何かぶつくさ文句言ってる人がいるなぁ」と思って画面を見たら、有吉だった。 ついにCM出演である。有吉のCM出演って初めてじゃないか? リスクのある人物をCMに起用することはないから、「安全芸能人」としてのお墨付きをもらったようなもんである。まぁ、意外とトラブルとか起こさなさそーだもんな。 缶コーヒーのCMは圧倒的に男性向けのものが多い。 野郎の支持が高い有吉に目をつけたサントリー、なかなかやるねぇ。 「お、有吉だ、有吉だ」と反応してしまった私も、感覚が野郎寄りだ(笑)。 ところで、漫才コンビを解散して、歌番組の司会、その後報道番組の司会、プロデュース業、数々の店の経営等の事業を手がけた島田紳助。政界への進出も夢見たことがあったのではなかろうか。そんな野望にまみれた紳助とは対照的に、有吉の将来的ビジョンは見えてこない。夢や野望があるとは思えない…少なくとも芸能界の仕事においては。 紳助が去ったことでポッカリあいたテレビ番組での司会業も、彼には合わないだろうし、そのことを誰よりも彼自身がわかっているような気がする。視聴者としても、バイプレーヤーとしての彼を見たいはずなのだ。特に自分の番組を持ちたいってこともなさそうだし、このまま名バイプレーヤーとして存在し続けるのもいーかもしれない。 一度芸能界から干されていたことのある彼からすれば、「細く、長く」がいかに大事なことであるかは、身をもって感じていることだろう。 さてこのCM、「何語?これぇ…」という有吉の言い方が、私の秘かなツボである。 (その他、有吉に関する記事 →→→ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 有吉の世渡り術 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 有吉があだ名をつけなくなったホントの理由 )

音楽プロデューサーの定義って一体…!?

ヒロって、スピードのヒロのことじゃないのね。エグザイルのヒロのことだったのね。 それにしても、ヒロって音楽プロデューサーだったんかッ!? あ、何のことかって?ゴメンゴメン、NHKの『ディープピープル』を初めて観たんだわよ。 同じジャンルで活躍するプロフェッショナル3人で仕事論などを語り合う番組らしい。 今回のテーマは「音楽プロデューサー」ってわけ。 他のメンバーは秋元康と小林武史。 この2人はいーとして、ヒロって音楽プロデューサーかぁ!? この3人を同じジャンルとしてまとめる強引さ…。 ホントの意味での音楽プロデューサーは小林武史だけやがな。 秋元康が売れっ子作詞家であることに異論はないが、テーマが「音楽プロデューサー」であるゆえ、今回はAKBのプロデューサーとしての出演であることは間違いない。 イヤだろーなぁ、小林武史…AKBのプロデューサーと、ダンスユニットの親分でしかない人物を、自分と一緒にされたくないだろーなぁ。 どうせだったら、作詞家としての秋元康と、音楽プロデューサーとしての自分で、トークしたかっただろうな。 そうすればもっとプロフェッショナルな話ができたのにね。 ヒロが明らかに話についていけてなかったもの(聞き役に徹するしかなかった様子)。 秋元康が気を遣って、ヒロにあれこれ話を振るんだけど、もともと(仕事的に)ジャンル違いであるのに加えて、ボキャブラリーが貧困であるゆえ、話す内容が浅くて軽い。 観ているこちら側がいたたまれなくなってしまった…アタタタタ。

紳助がいなくなって平和な芸能界

憑き物が落ちたかのような、すがすがしさなのである。 何がって、紳助がいなくなったテレビ界が。 ( 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 紳助の巧みな話術で誤魔化される真実 ) 吉本興業や、彼が出演していたCMのスポンサー企業にとっては打撃だろうが、それ以外のところでは、わりとこの一件は歓迎されているのではないか、とすら感じられる。 ま、ヘキサゴンファミリー(てか紳助ファミリー)にとっては危機だろうけどね。 紳助にゴマすって仕事にありつけてた人が多いから。 それに、紳助にイジられてなんぼ、の人も多いから。 でも、テレビ局関係者は「これでやっと視聴率の悪かった番組を打ち切りにできる」とか「紳助への莫大なギャラを払わなくて済む」とか「紳助の横暴さに振り回されなくて済む」などと安堵しているのではなかろうか。 後輩芸人たちは表面上「残念です。戻ってきてください」などと口々に言ってはいたが、本心じゃないだろう。相当今の状況は後輩芸人にとってオイシイはずなんである。ステップアップできる大チャンスである。頭上のでっかい重石が取れたのだから。 しかし私も彼の話術と頭の回転の速さには一目置いていたし、彼はいくつものレギュラー番組(冠番組)を抱えていたしで、今後のテレビ界ってどーなるんだろう…という思いが頭をかすめたりもした。 でも、どーってことなかった。 先日の『行列のできる法律相談所』を観てそう思った。 代役としてフットボールアワー後藤が司会を務め、東野・山崎・宮迫・河本らが出演していた。 この5人のバランスが大変良く、のびのびと楽しげにやっていて、観ていて面白かった。 特に東野と宮迫と後藤の3人で何か新しい番組をやっても良さそうに思えた。 結局紳助も、東野らにイジられてこそトークが活きていたんだな、ということがわかった。 別に、イジりイジられる相手は紳助じゃなくても成立している。 紳助やさんまら大御所の陰に隠れていた中堅芸人たちは、秘かに実力をつけていた。 これからはその力をいかんなく発揮できる場がたくさん提供されるのではないか。

スピッツのCMソングについて考える

スピッツのCMタイアップ曲でまず思い浮かぶのが、『渚』。 「グリコポッキー」のCMで、吉川ひなのが女子高生役で出演していた。 吉川ひなのはやめてほしかった。もっと素朴なカンジの女の子にしてほしかった。 長身で茶髪でエキゾチックな顔でヘンな声の吉川ひなのと、スピッツの曲は合わなかった。 スピッツの曲はこれまでいろんなCMに使われてきた。 ちょっと前の曲が使われることもあったし、秘かに控えめに流れていたこともあった。あまり主張しすぎない歌声と、スッと心の中に溶け込むメロディーは、CM曲にふさわしいのかも。 さて、2000年以降のスピッツのCMタイアップ曲に目を向けてみる。 『正夢』(富士フィルム企業CM)・『春の歌』(「アクエリアス」CM)・『ルキンフォー』(トヨタ「アイシス」CM)は、CMの映像と合っていて素晴らしい相乗効果をもたらしていたように思う。 そして2010年、怒涛の勢いでスピッツの曲がCMに使われたことは記憶に新しい。 立て続けにいろんなCMからスピッツの曲が流れてきて、違和感を感じるほどだった(ニューアルバムのプロモーションの一環でもあったのかな)。 その中でも、ゆうちょ銀行CMと『ビギナー』、ブリジストン「ブリザック」CMと『幻のドラゴン』は、おそろしくマッチしていたと思う。 しかし…ヤマザキ「ランチパック」CMと『えにし』、メナード「イルネージュ」CMと『シロクマ』には疑問符がついた。 CMと曲が合っていないのか?ただ単に自分がその曲を好きじゃないのか?映像が気に食わないだけなのか?…私の頭の中はまさに「ニワトリが先か、タマゴが先か」状態であった。 特にメナードのCMには岩下志麻まで出てるものだから、違和感も倍増だ。 岩下志麻出演のメナード化粧品CMとスピッツて…どーにもこーにも結びつかんだろッ。 そこで、『えにし』も『シロクマ』も車関係のCMソングに置き換えてみる…そう、トヨタ「アイシス」やブリジストン「ブリザック」のCMのような、道路を颯爽と走り抜けていく車の映像…そこにこれらの曲をあてはめてみると、結構マッチする。 やっぱCMと曲が合ってなかったんだな。 なんちゅーか、とってつけた感が私には感じられたんである。今ひとつ曲が映像になじんでなかったっちゅーか。キレイめな映像が合うんだよな、スピ

元モー娘で幸せになれた人は少ない

もはや今のモーニング娘は風前の灯で、昔のメンバーは「ドリームモーニング娘」として寄り集まって芸能活動するしかなく、そこからもはじかれたメンバーは、暗黒の地へと転がり落ちてゆく…。 『LOVEマシーン』などの大ヒットを連発していたモーニング娘の絶頂期…この時期に12歳の子どもがメンバーとして加入することに、私は一抹の不安を覚えた。 こりゃ、狂うぞー、家族ひっくるめて狂うぞーと。 見たこともない大金が一気に転がり込んでくるしな。 よほど親がしっかりしてないと、子も親もグッチャグチャになるわな。 もともと家庭環境に恵まれてなかった加護チャン。 モー娘にいる頃は、慢性的な愛情不足を、チヤホヤされることで補えていたと思われる。 しかしモー娘を卒業し、喫煙で事務所を解雇され、多くの人から見放されると、慢性的な愛情不足がムクムクと顔を出し、今度はオトコにどっぷり依存していくのである。それも見境なく。 結局悪いオトコに引っかかってしまった。 彼女のことを「オチタレ」と言う人がいる。 落ち目のタレント、堕ちたタレント、落ちぶれたタレント…という意味。 う~ん…何だかね、そんな軽々しい言葉はちょっと合わない気もするね。 これは悲劇なんだと思う。 まだ自己を確立できていない年齢の子を、学業そっちのけで、華やかな世界(それも「性の対象」としての目線アリの世界)で脚光を浴びさせて、普通の感覚を失わせてしまった挙句に、見捨てられることの弊害。それも、何の芸も身につけられないまま。 加護チャンは、それを我々にまざまざと見せつけてくれた。 もうこんな悲劇はたくさんだ。

7月の楓 9月の渚

ちょっとずつ秋の気配が感じられるようになり、夏ギライの私にとっては、まことに喜ばしい限りである。 秋が好き。春よりも秋が。近年、猛暑の影響からか、秋が短くなっていてまことに嘆かわしい。 秋のファッションも好きだし、秋の曲も好きなの…淋しげで切ないカンジの曲ね。 さて、スピッツの「秋うた」と言えば、『楓』だろう。 この曲を名曲だと思っている人は、数知れず…。 私は『冷たい頬』派だ。 私の中で『楓』と『冷たい頬』は、イメージが重なるんだよな。 リリース時期が近いからかな。どちらも淋しげだしな。 『楓』はちょっとまったりし過ぎてるから、私は『冷たい頬』の方がいいの。 でもね、名曲『楓』のシングルチャートは10位が最高…何で?? これだけ支持する人がいるのに。 スピッツファンじゃない人からも、この曲はとっても支持されてるよ。 理由のひとつに、リリース時期があるのではないかと思う。 当時も「?」と思ったのだが、この曲のリリースは何と7月! いや~、夏に聴きたくないっしょ、この曲。 ま、いろいろ事情があるんだろーけどさ。 そーいや『渚』も9月リリースで、「?」と思ったんだよね。 この微妙な季節外れ感…。 まさか、マサムネ氏特有の「ひねくれ」から来てるんじゃないだろーね!?(笑)

大河も天声人語も制覇する福山雅治

今朝(9月10日付)の朝日新聞の天声人語に、福山雅治の(アエラ誌上での)発言が掲載されていた→ → → 「曖昧で詩的な表現、例えば『虹を追いかけて』『あの空の向こうへ』みたいな歌詞は、今は何か違う……より視覚的に、はっきり言葉を届けていこうというのが、2011年以降の僕なのかも」 その内容に至極納得した私。確かに、確かに。 あの震災は多くの人の価値観を大きく変えたかも。フワフワした、地に足のついてないような歌詞など、意味を為さなくなっているかも。そもそも、「虹を追いかけて」とか「あの空の向こうへ」みたいな歌詞って、手っ取り早いテイの良さでしかないんじゃないのか…などとツラツラ考えてみる私である。 さて、もはや福山雅治の人気は不動で、めったなことで揺らぎはしないと見える。 デビュー後しばらくは売れなかったが、売れてからはきわめて順調に人気をキープしてる。 女性からの人気が絶大で、かと言って男性に嫌われているわけでもない。 気取っているわけでもなく、あくまでも自然体で、シャレもわかるし、エロ話もできる。 多くの後輩芸能人から慕われ、先輩芸能人からも可愛がられてる。 芸能人として、何て素敵なポジションなんだ! 元々はミュージシャンとして成功したかった。 俳優の仕事は知名度を上げるために始めたらしい。 結果、今ではミュージシャンとしても俳優としても成功し、CMにもバンバン出演している。 芸能人として、何て素敵なポジションなんだ! でもね、私、この人にそんなに興味がないのね。好きでも嫌いでもない。 この人の出ているドラマも『ひとつ屋根の下』ぐらいしか見たことない。 歌はね~、有名になってから売れた『MELODY』『IT'S ONLY LOVE』『HELLO』『Message』のベタな歌詞にちょっとヒいてしまったのよね。しかも彼の声って、何だか鼻から抜けるような、こもるような声で、好きじゃなかった。「あー、イケメンってだけで、こんな曲と声でも売れるのね」と、失礼ながら思ったものだ。 しかし年を重ねるごとに、彼は独自の歌唱法を会得したように思われる。 いや、ただ単に曲調が変化しただけかもしれないが…。 彼の通りにくい声を、ごまかしながらも活かすような歌い方で、ニュアンスのようなものが加味されたような気がする。でもやっぱ、そんなに好きな歌声じゃないが。 さて、天声人語の件に

魔法のコトバでかかった魔法?

前回のリリースから1年が経とうとしてますわ、スピッツのシングル。 ま、近年は1年に1回のペースだわな。 でも時々、3~4ヶ月後にリリースされることもあって驚くけど。 アルバムを聴いていて、かなりの頻度でカットしちゃう(すっ飛ばす)シングル曲は、『運命の人』。 そういう自分に最近気づいて、何かしみじみ「あー、私、ホントにこの曲が好きじゃないんだわぁ~」って思った。( 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: スピッツと私の1997年 ) イントロも含めたメロディーラインが好みじゃないってことなんだけど、それ以外の部分でも、♪愛はコンビニでも買えるけれど という歌詞とか、♪アイ二ージュー の字ヅラ(!)とかも…ね。 私が少しスピッツから距離を置いていた期間があったのは、過去のブログ記事でも述べた通りだが、突き詰めていくと、決定打となったのはこの曲なのかもなぁ。 そういった意味で『運命の人』は、私にとって「運命の曲」だ(←大げさだ)。 そして私は、アルバム『さざなみCD』で復活するのだが、そのきっかけとなったのはシングル『魔法のコトバ』かも。 『魔法のコトバ』も、それに続く『ルキンフォー』も、私の好きなスピッツ路線であった。 「わ~、よくぞこの路線に戻ってきてくれた♪」みたいな。 それよりも前に大ヒットした『スターゲイザー』では、いっさいなびかなかった私がである。 それで、その2曲が入っている『さざなみCD』を購入するに至りプチ復活、その後の『とげまる』で奇跡の大復活を遂げるのである(←だから大げさだってッ)。 そういった意味で『魔法のコトバ』は、私にとって「魔法の曲」だ(…へい、へい)。

織田裕二は相変わらずだった…

『世界陸上2011』をちょこちょこ観ていた。 アメリカのアリソン・フェリックスは知性的な顔をしているなぁ。 あれ?ボルトってあんな顔だったっけ? そっか、私は彼のおどけた表情を、彼の顔としてインプットしていたのだ。 ちゃんとした真顔を知らんかった。 さてボルトのフライング事件。 今回からフライング一発アウトのルールである。巷じゃ「厳しすぎる」の声、続出。 ボルトが引っかかったから、余計にね。確かに厳しい。 でも、前のルールよりだいぶマシ。 1回目は誰がフライングしてもセーフで、やり直しの2回目からは1回目にフライングした人じゃなくてもアウトというルールね…こりゃ、ホントに不公平だった。 で、もっと前は2度フライングした人はアウトってルール。 これが一番良さそうな気もするが、これだと安心しきってフライングが続出するケースが考えられるし、ホントにいいスタートが切れた人にとっては迷惑な話だ。 ま、フライングって、ピストルが鳴る前に走り出しちゃってるワケだから、そもそもおかしな行為なんだけどね。 この番組のメインキャスターは、今年も織田裕二と中井美穂。 やはり今回も全く噛み合ってなかった。 私はいつも中井美穂に感情移入して、しんどくなってしまう。 織田裕二って全く人の話を聞かないから。 中井美穂がしゃべっているのに、平気でかぶせてくる。 コーフン気味に、ノリノリで…KYの極致。 織田裕二ひとりでやらせたらいーんじゃないか? もしくは、織田裕二をこの番組から降ろしてくれ。 でも好きそーだもんな、この仕事。すっげー好きそう。 性格だけ見たら、女性にモテないよな、このタイプ。 ホラ、女性は自分の話を聴いてくれる男が好きだから。

ジャニーズのデビュー曲に良曲多い件

「今話題の超人気ジャニーズグループ」ってな感じで紹介されることの多い、キスマイなんとかっつーグループ…ホントに人気あんの? まぁ、デビュー曲は悪くないわね。 振り返ってみると、ジャニーズのデビュー曲って、何気に結構パンチの効いた良曲ぞろいなのよね。 デビュー曲ってんで、力入れて制作されてる感じ。 少年隊『仮面舞踏会』、男闘呼組『DAYBREAK』、光ゲンジ『STAR LIGHT』、V6『Music For The People』、キンキキッズ『硝子の少年』、嵐『A・RA・SHI』、カトゥーン『Real Face』…。 しかもさ、チャゲ&飛鳥や山下達郎、スガシカオ、松本孝弘(B'z)らミュージシャンが制作陣として加わっている楽曲もあったりして、ゴーカなの。 松田聖子の楽曲を手がけた松任谷由実みたいに、何気にアイドルとミュージシャンって相性いいかもね。

聖子とキョンキョンの微妙な距離感

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皆さんは、松田聖子と小泉今日子の共演CMをご覧になっただろうか。 アタシ、まだなのよね。でも映像ゲット!うp主さんに感謝! でもこれ、アタシ的にちょっと残念…。 スタイリッシュにまとまってるんだけど、もっと2人が絡むシーンが観たかった。 実際に現場で顔を合わせて撮った映像らしいのだけど、一人ひとりの場面が多く、最後に2人で一緒に歩いている場面さえ、合成に見えてしまうのは何故だろう。 もったいないなぁ、大体この2人の共演ってこと自体にリアリティーないんだから、もっと演出にリアリティーを持たせたら良かったのに。 80年代前半のアイドル全盛期に活躍し、今も芸能界でちゃんと生き残れているのはこの2人だけ。 もともと当時からこの2人が絡むシーンってのは見られなかったな。 聖子は孤高の人で、芸能人とのつながりをあまり持ちたがらなかったし(恋人は別)。 さて、聖子は化粧品のCM契約を資生堂からカネボウへ、小泉はカネボウから資生堂へ変え、そして2人が行き着いたのが富士フィルムである…ふ~ん。 そーいや、資生堂は去年、80年代の元アイドルである石川秀美、荻野目洋子、伊藤つかさ、河合その子をCMに出演させてたな。 ま、こちらは引退したり、一線を退いた人たちばかりだけど。 バブル景気でおいしい汁すった女性たち(40代後半?)は購買意欲が未だに高いんだろうと思う。その人たちの青春時代(日本が景気の良かった頃)に活躍していたアイドルたちをCMに出演させて、その頃を思い出させて、バンバン買ってもらおうって魂胆なのかなーと。「まだまだアタシたちだって!」的な気分にさせるっつーか。 それにしても聖子のアイメークはスゴイな。 一見ナチュラルメークに見える小泉だって、元々肌がキレイな方ではないので、手の込んだベースメークをしているか、画像的に修整が施されているはずなんである。

スピッツのライヴチケットは宝くじ?

スピッツファンの皆さ~ん、いかがお過ごし? つまんないわねぇ、夏フェスもほとんど終わっちゃったし。 ラジオ出演も終わっちゃったわねぇ。 ( 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: スピッツラジオ くすくす感想レポ ) もー私、秋のとげまる振替公演に参戦しちゃおうかしら…って気分だわよ。 私が参戦したライヴと内容はほとんど変わりがないだろうから、今度はもっと近くで観たい!( 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: とげまるツアーに参戦す① ) そりゃスクリーンあったけどさ、テレビ観てる感覚になるからヤなのね。 生のライヴ感を楽しめれば十分って人もたくさんいるだろーけど、私は欲張りだから、近くでメンバーの表情や演奏する様子も観ていたい。 やっぱステージまで遠いとね、実感がわかないのね。 ステージ上にいるのは、ホントに本物のスピッツなんだろーかって…(←バカでしょ)。 でも、転売されて値段がつり上がった良席チケットを購入されるのは、メンバーもイヤだろう。 メンバーの嫌がることはしたくない(大体アタシも大金をはたきたくないッ)。 だとしたら、A席とかSS席とかで値段を変えてくんないかなーと思うワケ。 正規の値段なら、高額でもSS席を買っちゃうわッ、アタシ! …あ、そーか、そういう風にしちゃうと、猛烈ファンがどこの会場でも前方の席を陣取っちゃうことになるのか( 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: スピッツに会える! )。 例えば、自分のおこづかいでチケットを買うような中学生の男の子は、毎回前方の席が取れないってことになるもんな。 それなら、誰にラッキーシートが当たるかわかんないような今のやり方が、スピッツにとっては望ましいってことなんだな。

紳助の巧みな話術で誤魔化される真実

調子ブッこき過ぎた人たちって、皆、必ず痛い目に遭うね。 小室、ホリエモン、亀田一家、エビゾー、沢尻・・ そこに島田紳助も加わることとなった。 あれだけのレギュラー番組(冠番組)を抱えた芸能人が一夜にして引退・・スゲーな。 今回の会見で「またこの手法かよ・・」と思った私。 どういうことかと言えば、前回の女性マネージャー暴行事件の会見でも、自分の行為を矮小化して伝えた上で「言い逃れはしません!100%自分が悪いんです!」などとキッパリ反省の弁を述べるのである。視聴者からすれば「お、いさぎよく謝罪してるな」という好印象を持つこととなる(私は騙されなかったがな)。矮小化して伝えられた行為にギモンを持つことすらしなくなる。でも実際は、無抵抗な女性に対してエゲツない暴行をはたらいていた。 今回の会見でも、嘘八百並べてたことが後になってわかった。 平気な顔してとんでもないウソをつくんだな、コイツは。それでいて、「芸能界のルールがわかっていなかったという点で自分が間違えていた」だの「セーフだと思っていたらアウトだった。完全に自分のミス」だの「認識の甘さを反省している」だの、核心ではない部分で反省の弁を述べるのである。論点のすり替えが何とも巧妙である。 「(暴力団との)写真や手紙、あるわけないですから」という言葉。 いろんな事件の容疑者がね、よくこういう否認の仕方をするのよね。 「自分はやってない」じゃなくて「(凶器や薬物が自宅に)あるわけない」と。 咄嗟にそう言ってしまうんだろうね、やったのはまぎれもない事実だから。 で、結局あったわけよ、写真も手紙もね。 となると、もー何もかも疑わしいだろ。 何ひとつホントのことを言ってないんじゃないか。 それで「明日から一般人ですのでそっとしといてください」って言う。 そうはいくかッて。全てを白状したかのように見せかけて逃げようとしている。 「重い処罰を自分に与えたから許してほしい」とも言う。自分で言うな。 ある意味、予防線張ってんだろな。もっと重い罰が待ち構えているかもよ~。 そして「一般人になるから、ウソ書かれたら告訴できる」と、軽く脅すことも忘れない。 さてここから、紳助の気持ちわりー話4連発。 ・自分の番組で、気になっている女性(モデル)を呼んで紹介したかと思えば、その後の新番組で