スピッツには手紙と電話が似合うよ

それにしてもナンだね。
ケータイってのは、小説や映画、TVドラマの在り方までも変えちまったよね。

待ち合わせなんかの場面でも、ケータイひとつで「遅れる」だの「場所がわかんない」だの、すぐ自分の状況を伝えることができるので、ドラマティックな展開が生まれない。

例えば恋人同士(その日は大事な話をする予定)の片方は待ちぼうけくらっていて、片方が仕事で遅くなって慌ててその待ち合わせ場所に向かったら、もうその場に相手はおらず…みたいなシーンとかさ(古い?)。昔の駅の伝言板なんかもステキじゃないかー。

そういうのが全部不要になっちゃって、もうケータイひとつで何でも解決できちゃって、ニュアンスないったらありゃしない。

でもね、そういった現代的機器(とでも申しましょーか)は、歌の歌詞にも入れない方がいい。
それは何もニュアンスだけの問題じゃないの。そのときどんなにハイテクでも、そのうち新しいものがどんどん台頭してきて、たちまちダッサい代物へ成り下がる危険性をはらんでるの。

ポケベルなんてまさにそう。
『ポケベルが鳴らなくて』という歌があったけど、カラオケで歌うとしても笑われるの覚悟で…というか、笑わそうと思うなら歌えばよい(笑)。

「ポケベル」って語はね、大黒麻季や安室の歌の歌詞にも入ってる。
安室の『SWEET 19 BLUES』の場合は「ベル」だけどね…いや、逆に「ベル」(「ポケベル」の省略形)にしといて良かったね。ギリギリ、ダッサくならずに済んでる…「ポケベル」ととらえなければいいのだから。

前置きが長くなってしまったが、何とスピッツの歌の歌詞にも現代的機器が入ってた。
いや、ひょっとしたら、他のスピッツの曲にも秘かに入っていて、私が気付いていないのだとしたらスマン。

えーと、『おるたな』を聴いてたらね、『テクテク』の中には「メール」が、『シャララ』の中には「ケータイ」が入ってたのよ~。何か感慨深かったなぁ…「ついにスピッツもねぇ」みたいな。

でも何十年後かには「メール~!?ケータイ~!?ギャハハ、ダッセー」みたいに言われる時が来るのかなぁ?昔の「ポケベル」みたいに…。

「メール」はまだいいか、「手紙」ととらえることができなくもないから。
安室の「ベル」みたいにね(笑)。

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