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5月, 2017の投稿を表示しています

川越美和の暗さが予兆していたもの

「90年代のアイドル歌手が孤独死」という文字を見て、誰だかピンとこなかった。 それが川越美和だと知り、「あぁ!いたいた。でもアイドルか?」と思った。 曲は出してたけど、私には女優のイメージが強かった。 私は時々、「あんな人、いたよなー」などと、消えた芸能人について思いを巡らすことがあるのだが、彼女に関しては一切なかった。 完全に忘れ去っていたわけだが、記憶にはちゃんと残ってる。 閉ざされた記憶の引き出しを、パッカリ開けられた感じ。 当時「この人、芸能人として大成しないだろうな」と思ってたことまで思い出した。 圧倒的に華がなかった。まとわりつく空気が暗かった。歌声にも個性がなかった。 10年ほど前に芸能界を引退したらしいが、本人としては未練があったようだ。 連帯保証人になったことで莫大な借金を背負わされ、自己破産し、職や住まいを転々とし、精神が不安定になってガリガリに痩せ、生活保護を受けていたということが、「孤独死」よりもショッキングだった。 彼女とドラマで共演したこともある中江有里が、このニュースを取り上げた情報番組の中で、「私に何かできることがあったんじゃないかと・・」と言って泣いた。 そのドラマ以外何の接点もなく、何のつきあいもしてこなかった相手である。 そんな相手から「金に困ってる」と言われたとして、中江有里は助けただろうか。 「何かしてあげられたのに」みたいな言い方は、後出しジャンケンみたいで嫌だ。 声さえかけてあげられてもいないのに。 死者に呼び掛けるとするなら、「何も気づかなくてごめんなさい」だろう。 お菓子のカールが販売終了になることに、嘆き騒ぐ人たちにも言いたい。 そんなに嘆くなら、普段から買っとけよ。そしたら販売され続けてたよ。 カールに呼び掛けるとするなら、「何も気づかなくてごめんなさい」だ。 ※関連記事… 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 要するに誰も彼女を助けなかったってこと

黒目の小さい俳優が関西弁に挑戦す

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私は過去に一度だけ「松田聖子に似てる」と言われたことがある。 いや、もちろん似てないよ?全然(笑)。 ただ、このデビューアルバムのジャケ写はちと似てんだよ。 でもどっかが決定的に違うのよ(どこもちげーよッ)。 どこだろーどこだろーと思ったら、黒目の大きさなのよね。 聖子は大きいの。 黒目をデカくみせるカラコンが世に出てくる前から、私は結構、人の黒目の大小ってもんに気づきがちだったかも。 黒目が小さい有名人として思い浮かぶのは、米倉涼子、本田翼、福士蒼汰、白鵬(笑)。 あ、福士蒼汰について少し話そう。 彼、演技が下手って言われてるね。 私は彼の演技を見たことがないから、上手いか下手かのジャッジはできないけど。 何か、新しい映画で関西人の役をやるらしいじゃない。関西出身じゃないのに。 それってとってもリスキーだと思うの。 関西人じゃない人が関西弁で演技するのって、ただでさえ違和感が漂うものなのに、演技が下手な人ならさらにヤバくなるよね。 関西出身の若手俳優なんてヤマほどいるのに、何で彼なんだろね。 関西弁が似合う風貌でもないのにね。 逆の場合もある。 関西のお笑い芸人が、ドラマで標準語の役をやるケース。 何のためにその芸人を起用した!?って思う。 その芸人の持ち味、消えちゃってんぢゃん。 セリフを言ってる間、違和感だらけで私の心の中はモゾモゾしっぱなし。 そもそも、標準語設定の時点で、「この役はこの芸人でなきゃ」ってことにはならんだろーに。。 ※関連記事・・・ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: ドラマの中の気になる面々

胃ろうなんかしなくていい

「治る見込みのない患者への胃ろうは、必要な医療か?」についての(医師対象の)調査結果が発表された。 申し訳ないが、ここでは「胃ろう」についての説明はしない。 お知りになりたい方は、ご自分でお調べいただけたら幸いである。 詳しく知っておいて損はない。 誰しも突然、判断を迫られる可能性があるからだ。 冒頭の質問内容にあるように、胃ろうとは、治る見込みのない患者への延命措置のイメージが強い。 私は一時期、胃ろうについて検索しまくっていたが、やはりそういう患者のことばかりであった。 他が弱り切っているのに胃ろうで延命することの是非、みたいな。 だが、胃ろうが関係してくるのは、そういう患者だけではないのだ。 私の身内の場合は、脳血管の疾患で飲み込む機能が弱まったため、胃ろうで栄養を補給しながら、飲み込む訓練をした方がいい、と主治医に言われた。 要するに、延命のためではなく、トレーニングのための胃ろうである。 延命でも治療でもなく、たかがトレーニングのために手術を行うわけである。 それまでは鼻からチューブを入れて栄養を補給していたのだが、「そろそろ(期間的に)限界です。胃ろうで本格的に栄養を取った方がいいいです」とも言われ・・・。 そんな時期なのだ、私が胃ろうについて検索しまくっていたのは。 だけれども、私の身内のようなケースは見当たらなくて。 逡巡した挙句、いったんは家族で胃ろうにゴーサインを出したものの、気持ちは晴れなかった。 ところがある日、別の医師が回診に来て、身内の状態を見て「順調に回復してます。訓練したらすぐ食べられるようになりますよ・・・あれ?胃ろうすることになってるんですねぇ」と言って去って行った。 ちょっとー! ちょっと! ちょっと! ・・・私たち家族は改めて話し合い、手術日まであと2日というところで、手術のキャンセルをお願いしたのである。 するとその後、その身内は割とすぐに鼻のチューブが外され、何の問題もなく口から食事が取れるようになっていき、元気に退院したのである。 胃ろうなんかしなくてよかった・・・つくづくそう思った。 あの検索しまくってた時期に、私はこういう記事を欲していた。 主治医はしきりに胃ろうを勧めるが、家族としては拒みたかった。 今まで生きてきて、この時ほど迷い

ホリエモンの逃げたモン勝ち

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堀江貴文の『好きなことだけで生きていく。』を読了。 今、日本では、長時間労働を始め様々な労働問題にブチ当たってるじゃない。 そのことが原因で命を絶つ人も少なくない。 やっぱそれって「好きなこと」をやれてないからなんだよね。 好きなことだけして生きていけるのが幸せだし、理想だし、しかも現代ではそれが実現可能なのだ、というのがホリエモンの弁。 本書では、とにかく「行動しろ。行動しろ。考える暇があったら行動しろ」と書かれている。 ま、行動し過ぎた結果、逮捕されたり、56億円の宇宙開発サギ(これホント?)に遭った人に言われても、少々説得力に欠けるのだが(苦笑)。 しかも「堀江貴文イノベーション大学校」(オンラインサロン)の宣伝がちょいちょい挟み込まれる。 この学校では月額1万円を支払って、ホリエモンの運営するプロジェクトやイベントに参加できたり、メンバーで新たなプロジェクトを立ち上げることができる。 この本だって、メンバーの協力あってのもの(ギャラ無し)。 しかも子どもからも搾り取ろうとしてる。 「 月額1万円は子供にとっては高いだろう。(中略)親にとにかくお願いして借りてもいいじゃないか。自分でなんとか誰かの手伝いをしてお小遣い稼ぎをしてもいいじゃないか。アルバイトができる人はもちろんやればいい。子供がお金を稼ぐことは、まったく悪いことじゃない 」 子どもにも「何とかしてお金を得て、それをこちらによこせ」と言っているのだ。 商業的なニオイ(宣伝)がしてくると、私は身構える。 はたしてこの人は純粋に「一人でも多くの人が好きなことだけで生きていける世の中になってほしい」と願っているのだろうか?と。 しかしホリエモンと会員は、ウィンウィンの関係なのだと思う。 ホリエモンにとって会員は、カネを落としてくれるうえに、自分の業務まで手伝ってくれるという非常に都合のいい存在。雇用関係にあるわけでもなく、いわば「お稽古ごと」のようなスタンスを取っているので、労働法など一切無視できる。 会員は会員で、知名度抜群のホリエモンの名を借りて仕事をすることで、あるいはおこぼれにあずかることで、自分の名も挙げたいと思ってる。 だけどなー、やっぱきちんと報酬をもらってないと、真面目にやってるのがアホらしくなってチョ

ミニマリストが受け取った贈り物の行方

ミニマリストの部屋を見てると、「もらった贈り物はどうしてんだろ」と思う。 必要最低限の厳選されたモノしか置かれてない部屋。しかもハイセンス。 他人からの贈り物、迷惑だろーなー、と思う。 私はミニマリストではないものの、モノが増えるのが嫌いだ。 かと言って、いさぎよく処分できるタチでもないので、モノを増やさないようにしてる。 そこで困るのが贈り物だ。 気持ちは大変ありがたい。 しかし意外と、「?」と思ってしまうモノも少なくない。 要するに、自分が使うことがないであろうシロモノである。 そして心の中に残るのは、「またモノが増える・・・」という思いである。 失礼な話をしてることは重々承知だ。 数年前のある時期に、多くの人からプレゼントをもらう機会があったのだが、全てまとめてクローゼットに押し込んだままだ。 自分の中で、もらってないことにしてるのだ。最悪だ。 モノが一気に増えた、という現実から目をそらしたい。 しかしまとめて置いてあることで、余計目立ってる気はするんだがな(苦笑)。 女優の樹木希林は、人からのプレゼントを全て断るのだそう。 それもまた極端ではあるが、気持ちは少しわかる。 人気アイドルなんかも、毎日夥しい数のプレゼントを受け取ることだろう。 それを考えただけで、人気アイドルじゃなくて良かったと思うのである。(て、オイッ) けど、どーしてんのかね、そのプレゼントの数々は。 日々淡々と大量に処分してたとしたら、それもサイコパスのようでコワい(苦笑)。 ※ま、ここでも私の「モノを増やしたくない精神」が垣間見れます(笑)。  ⇒ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 女子っぽい芸人とマサムネ氏の共通点

ドッキリ説教でシャレにならない修羅場に

とうとう私が懸念していたことが起こりました。 過去にこの記事でも警鐘を鳴らしてます。 ⇒ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: スマップ中居の暴君ドッキリ それは『水曜日のダウンタウン』のドッキリ企画での話。 矢口真里がターゲット。 カラオケボックスで、仲良しの先輩である遠野なぎこが矢口に説教し、その説教後でも、遠野がモー娘の曲『恋のダンスサイト』を歌ったら、矢口は自分のパートであった合いの手「セクシービーム!」を入れてくるか?という検証。 遠野が矢口に対し「時事ネタに弱いし勉強不足だと思う」と指摘すると、矢口は「何でそんなこと遠野さんに言われなきゃいけないんですかッ!? 何か迷惑かけましたかッ!?」などと激昂。 きーつよ。 ま、こんだけ気が強いから、あれだけのスキャンダルを起こしても、平然とした顔で芸能界に戻ってこれるワケで。 その後は放送できないほどのマジな口喧嘩に発展。 結果、矢口は号泣。 私の感想は、「泣いちゃった。矢口かわいそー」でも「矢口、先輩に対して態度悪すぎ!」でもない。 「こんな形で自分の本音が相手に伝わっちゃって、ちょっと気の毒だ」である。 同時に、遠野に対しても「相手の本音を知っちゃって、傷ついただろうな」である。 要するに矢口の本音とは、「遠野さんごときに私を説教する資格はない」である。 それが透けて見えちゃった。普段は心の中で見下してたってことだ。 ま、矢口だって、編集でカットされた口喧嘩の中で、相当傷つけられただろう。 たかがドッキリで、傷つけあってホントの関係まで悪化するなんてバカみたい。 もう、こんなドッキリやめろよと思う。

売れない音楽をどう続けてくか

アジカンの後藤正文氏が、音楽に関するコラムを朝日新聞に載せていた。 一部を抜粋すると 「 大きな音楽の町が村々に分かれ、人々の行き来が減り、すべての村を貫くような大ヒットが生まれにくくなった。音楽を生業にする方法ではなく、売れない音楽の続け方について考えなければならない時代だとも言える 」 ホントそう。 その時代を彩るヒット曲や流行歌が生まれないことを、つくづく寂しく思う。 握手券狙いとかそういうの抜きにしてCDを買う層ってのは、中高年かと思う。 それならその層がよく観てるNHK朝の連続テレビ小説の主題歌が、もっと売れてもいいじゃないか。 あまりいい曲が起用されてないってことなのだろーか。 いや、そもそもCDを売ってる所がなくなってるし。 高齢者がネットでCDを購入するってのもなかなか・・・。 てか高齢者って、CDを聴く機械もなく、未だにテープとかだったりするのかも。 タレントの小島瑠璃子が、元々は歌手志望で芸能界入りした、と言っていた。 彼女が芸能界デビューした頃って、すでにCDが売れなくなってる時代。 一体どんな姿を夢に描いていたのだろうか、と不思議でならない。 そう。「歌手になりたい」と言ったら不思議がられる、そんな時代。 過去にヒット曲を出したミュージシャンが、「今、CDが売れない時代で困ってる」と嘆くが、「アンタ、いい時代に曲出せて良かったじゃん!それだけでも恵まれてるよッ!」と、私は言いたい。 そりゃ、今の人たちの方が大変だもの。 今、どんないい曲書いたって、売れやしないんだから。 冒頭の後藤氏曰く、ダウンロード数も減ってるらしい。 いい曲がドンドン埋もれていってるはずだよ?

バーキンひとつ買えない人たち

元々「自分へのご褒美」というフレーズが嫌いだった。 普通に「欲しかったから買った」でいいではないか。 なぜそこにエクスキューズをつけるのか。 なぜ「何かで頑張った私」というアピールまでしたがるのか。 優木まおみが、「子どもを出産した自分へのご褒美」として、エルメスの200万円のバーキンを買った、と言っていた。 褒美の理由としては、一番愕然としたかも。 誕生した子どもが自分へのご褒美にはならないっちゅーことだ。 「こんなしんどい思いして、バーキンでも買わなきゃやってらんないわよッ」ってことか。 ま、どーでもいいや、この人のことなんて。価値観も人それぞれだしね。 ところで私は、「食」にさほど興味がない。 なので、グルメ番組なんかは全く興味がないし、グルメリポーターなんかも私には全く不要。 グルメリポーター、というかグルメ評論家的な仕事も多いアンジャッシュ渡部。 この人が語りだすと私は退屈だ。 グルメに興味がないからだ。 そしてこの渡部が、ママタレ好感度アップを望みながらもバーキンアピールする優木まおみを批判し、「我々は、バーキンを1個も買えない人に向かってやってるんだ!」と言っていた。 ・・・て、この発言もどーなのよ? 一般視聴者の味方のフリをしていながら、ディスってないか? 小6の時、学級委員を決める投票で、フザけた野郎らが気弱な男子A君に票を投じて、トップ当選となってしまうのだが、その時の女性教師の言葉を思い出した。 「フザけるのはやめなさい!A君に学級委員が務まると思うの!?」 せ、せんせぇ・・・ それにしても。 「自分へのご褒美」とか言う女と、グルメにうるさい男ってのは、いろんな点で私と合わないんだなぁ。。

1984年のスターとその楽曲たち

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この本( 1984年の歌謡曲 )、絶対買おうと思う。 1984年かぁ・・・確かにヒットチャート的に面白い年だったかも。 83年は「聖子vs明菜」の年で、84年はその戦いを明菜が制するものの、そんな明菜に新たな強敵が続々と出現した年なのだ。 最も強敵だったのはチェッカーズだろう。 いや、84年はチェッカーズの年だった、と言っても過言ではない。 『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』『星屑のステージ』『ジュリアに傷心』 ・・・これらはどれも84年にリリースされた曲で、全てが60万枚を超える大ヒットとなった。 しかし、翌年最初にリリースされた『あの娘とスキャンダル』は、50万枚そこそこの売り上げとなる。 そう。人気歌手には「がくっとポイント」がつきものだ(何だそれ)。 ブレイクした状態はずっと続くはずがなく、必ずどこかで落ち着きを見せるものだ。 「落ち目」ではなく「落ち着き」ね。 「がくっとポイント」を迎えると、もうそれ以降はブレイク時のような売り上げが望めない。 中森明菜も、84~85年に『十戒』『飾りじゃないのよ涙は』『ミ・アモーレ』で3曲連続60万枚超の快進撃を遂げた後は、『サンドベージュ』で40数万枚という「がくっとポイント」を迎え、売り上げは落ち着いていく。 松田聖子も、83~84年の『ガラスの林檎/SWEET MEMORIES』『瞳はダイアモンド』『ロックンルージュ』の快進撃の後に、『時間の国のアリス』で「がくっとポイント」を迎えてしまい、それ以降は明菜に敗北し続けることになる。 話をチェッカーズに戻そう。 『あの娘とスキャンダル』はポップで売れ線の良曲なのに、どうして前曲の『ジュリアに傷心』から20万枚近くも売り上げを落としてしまったのか、私には解せない。 ひょっとして、と思う。 この曲で、彼らの衣装がチェック一辺倒ではなくなり、フミヤの髪型も「フミヤカット」ではなくなったかも。 もしやファンや世間が、それで一抹の寂しさを感じたのではあるまいか。 そしてフミヤは、小泉今日子との交際が噂された頃じゃなかったっけ。 それでファン離れが進んだとか? そんな外的要因があったとしか思えない。 もっと売れてもおかしくない曲だと思うから。 それとも、ホントに84年だけでお腹いっぱいになっ

いとうあさこが何かとスゴい件

みんな、イッテQ好きだねぇ。 私も、項目によっては観る時がある。 先日のスペシャルでの女芸人たちの登山企画は観た。 3500メートルほどの山の頂上を目指したやつね。 私は2000メートルほどの山なら頂上まで登ったことがある。 登って良かったとは思うが、もう二度と登らないとも思った。キツかった。 今回のは、それよりはるかに高い山だし、ぽっちゃり体型の人が多いし、大丈夫かいな?と思った。 結局、登山の中盤以降で、ガイドの人が、いとうあさこ以外ムリだ、という判断を下してた。 いとうあさこって、そのメンバーの中で最年長じゃなかったっけ。 そう。彼女って、体力も根性もバツグンにあるし、とにかく器用で、楽器やダンスもすぐにマスターでき、料理もプロ並み。 人として、というか生物として、非常にポテンシャルが高いなと思うんである。 同じ破天荒お嬢様でも、何もできないのにしゃしゃり出る首相夫人とはワケが違う。 ※関連記事・・・ 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 電波少年的 いとうあさこ            幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 軽率な暴走妻を野放しにした結果

キムタクがケムたがられるワケ

あまりこんなこと言いたかないが、キムタクの話はつまらない。 つまらないのにまわりくどい。 「どうせオチはないのに」と思いながら、長々とした話を聞くのはツラい。 しかも何だか本人は嬉々として喋ってる。だから余計にツラい。 先月、映画の宣伝を兼ねていろんな番組に出まくってたが、観ないようにしてた。 いつだったか、「遅れましてながら」などと奇妙な日本語を口にしてた。 「遅ればせながら」と言いたかったのだと思う。 長い話の中に、こういう言い間違いが挟み込まれるものだから、ストレスも溜まる。 そんなキムタクが、「嫌いなジャニーズ」アンケートでぶっちぎりの1位となった。 それを掲載してる週刊文春の誌面で、一般の人の声(嫌いな理由)として「(スマップ解散報道の)謝罪会見のときの勝ち誇ったような顔」というのがあった。 そーなのだ。 彼の思う「カッコいい言動」は、世間のそれとはズレている。 あの謝罪会見での彼は、「ウチのバカどもが申し訳ない」という態度だった。 「こんなオレ、カッコいい」というウットリ感も滲み出てた。 でもあの場でのああいう態度は、世間では「カッコいい」とは思われない。 むしろ非難されてしまう態度であることに、本人は気づいてない。 バラエティ番組でのスポーツ対戦のような時にも、どんなテを使ってでも勝とうとする。 だって彼の中では、勝つことこそが「カッコいい」ことだから。 そー言えば、以前スマップで50メートル走をやった時、ビリに近い順位になって言い訳してたっけ。 彼の中ではトップになることこそが「カッコいい」ことであり、「普段の実力が出せればオレがトップだった」とアピールしたくてたまらない。 トップになれないことが、言い訳するより「カッコ悪い」ことなのだ。 世間から見れば、こんなことで言い訳する方がよっぽどカッコ悪いんだがな。。 ※関連記事… 幡 蒼子のおこりんぼ日記3: 言い訳なんて、いいワケない?

聖子不在の写真が 別の意味で切ない件

松田聖子と神田沙也加が親子だと知らない若者が多いのは、それだけ神田沙也加が近年、公の場で母親の話をしていない、ということでもある。 デビューしてしばらくの間は、母親とのセット売り状態だったんだけどね。 番組に一人で出演しても、必ず母親について聞かれ、それを話すのがお約束になってた。 神田沙也加の今回の結婚発表で、聖子のコメントが一切ないことが騒がれているが、それよりも私は、神田沙也加が自分と結婚相手、父親である神田正輝の3ショット写真を公開したことの方が衝撃だった。 母親抜きの写真をわざわざ公開する意味。 そもそも聖子に結婚報告してるかどうかも疑わしい。 そう言えば、彼女が2年ほど前に出したエッセイ本のようなものにも、家族の中で母親に関する記述だけが一切なかったらしいし。 ・・・これは彼女なりの復讐なのだと思う。 自分をほったらかしにして奔放な恋愛を重ねてきたにもかかわらず、利用する時は利用し、意のままに操ろうとしてきた母親に対して。 そしてそれは、幼い頃から自分の気持ちを押し殺して「いい子」を続けてきた彼女にとって、本来の自分を取り戻すための必要な行為にも思えてくるのである。 いいよ、辛かったね。責めない、あなたのことは誰も責めないから。